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被災地において農地が果たした役割(中越地震、熊本地震)
近年、大規模な地震・風水害等の災害が発生した際、都市部の農地が防災・復興上、一定の役割を果たしている。
防災協力農地とは主に地方公共団体と農家や農協等との間で災害時の農地利用等に関する協定等を結び、災害発生時の緊急避難場所や復興時の仮設住宅用地としての利用、食料供給を行うことに協力するものである。農林水産省による調査では三大都市圏特定市において防災協力農地等に取り組んでいる市区は、7都府県69自治体となっている(平成30年3月末現在)。
平成31年3月現在、協定のある都市部で災害が発生し農地が利用されたという例はないが、協定締結例がない都市において被災地で農地が活用された事例がある。
2016(平成28年)4月14日に前震、16日に本震があった、熊本地震では、仮設住宅・仮設店舗用地、市民菜園等として工夫ある農地利用がなされている。
<求められる仮設住宅用地確保の迅速性>
用地確保の迅速性が求められる中、防災協力農地に関する協定・登録制度は無かったため、用地担当者は苦労をしたという。発災日が4月14日で町有地は5月6日に着工できたが、それ以外の土地(農地等)は5月末~8月中旬まで要したという。予め防災協力農地の協定締結あれば、用地確保の時間短縮を可能とし、整備期間がかかる難点のカバーに有効であると考えられる。
<集落単位での仮設住宅用地の確保>
1~2年、もしくはそれ以上の期間生活を営む仮設住宅では、精神的・肉体的に側面から極力集落単位や仕事場に近いところに確保することが望ましいと考えられる。こうした観点から市街地の各地に点在する農地の活用は有用とみられる。益城町では集落単位の仮設住宅地を確保された。
<求められる仮設住宅用地確保の迅速性>
農家が自身のビニールハウスで避難生活を送った例がある。自宅向かいの理由として、地震(余震)が怖いため、ビニールハウスの耕作していなかった作業スペースを利用して一定期間生活していたという。
<農家にとって共同の避難所は生活しづらい>
農家が被災した場合、農地から離れた避難所で生活しづらい事情がある。
集落内の公民館が被災して使えず、日々農作業がある時期に、車で20分の避難所は遠い、炊出し、配給に並ぶと仕事の時間がなくなる、農作業で汚れた服装で避難所には戻りにくい、共用の洗濯機で農作業服を洗うことには遠慮してしまう等といったものである。
<職住近接化・自力仮設住宅設置へ>
このため、農業用施設の倉庫やビニールハウスは余震に安全あるといったことも要因となって、農地にある共用倉庫で農家10数戸が共同利用、炊き出しを行われた。
3日後には、自前でプレハブをリースした「自力仮設住宅」を用意し、仮設住宅入居までの期間利用したという。
<評価>
・「農家コミュニティ」の協力関係による営業再開の重要性
・共同生活で情報交換、各自の営業再開に向け協力しあう効果
最大規模の仮設住宅地(517戸)の敷地内における自然的要素は乏しく、住民が主体となって生きがいの場づくり・緑化活動が行われるようになった(フラワーポットの花壇づくり、緑のカーテン活動等)。
やがて一つのエリアブロック農地ではないが、敷地縁辺部の芝生用地を活かして市民菜園を設置した例がされた。(一区画の面積21㎡程度で7・8世帯が利用)
「西原村ふるさと農園事業」・・・西原村が仮設住宅(農地利用)の住民の引きこもり対策として、近接する農地1,000㎡で貸し農地を行う取組を実施。中越地震の際に派遣支援を経験した村役場の職員が提案。山古志村で好評の住民用菜園を参考に開設したという。(1区画18㎡、45区画、期間2年)
震災により、アクセスが寸断された村の観光交流館が再開できるようになるまで、芝生農地に仮設店舗を設置。店舗用地外や駐車場以外の部分の芝生をそのままとすることで、店舗と芝生が一体となって広場的な活用が図られている。
西原村出身同級生5人による「Noroshi西原」が、災害ボランティアと一緒に、最も被害の大きかった大切畑他で、被災一年後に倒壊家屋の敷地も含めた休耕農地を活用して、辺り一面に菜の花を咲かせる「ガレキと一輪の花プロジェクト」立ち上げた。
これによりガレキだらけの風景が一変し、期間限定「菜の花カフェ」をオープンするなど、被災地における復興機運を高めている。
カフェは、畑に隣接する再建された菓子店サカタスイーツの協力を得て実施している。菜の花カフェの季節終了後、種を収穫して菜種油を抽出、フロランタンの加工に用いているという。